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岡山地方裁判所 昭和47年(ワ)251号 判決 1975年12月02日

原告

林代作

ほか一名

被告

三浦暉幸

ほか一名

主文

被告三浦暉幸は、

原告林代作に対して金一、〇七八、三七四円およびこのうち金九七八、三七四円に対する昭和四七年五月二三日から、金一〇〇、〇〇〇円に対するこの判決確定の翌日から完済に至るまで各年五分の割合による金員

原告林静子に対して金一、〇五〇、五八七円およびこのうち金九五〇、五八七円に対する昭和四七年五月二三日から、金一〇〇、〇〇〇円に対するこの判決確定の翌日から完済に至るまで各年五分の割合による金員

の各支払いをせよ。

各原告の被告山田洋誠に対する請求、被告三浦暉幸に対するその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、被告山田洋誠について生じた分は原告らの連帯負担、被告三浦暉幸、原告らについて生じた分はいずれも四分し、その一を被告三浦暉幸の負担、その余を原告らの連帯負担とする。

この判決は、各原告が金一〇〇、〇〇〇円の担保を供したときは、主文第一項のうち、原告林代作に対し金九七八、三七四円およびこれに対する昭和四七年五月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員、原告林静子に対し金九五〇、五八七円およびこれに対する昭和四七年五月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いを命じた部分に限り、担保を供した原告について仮に執行することができる。

事実

第一当事者が求めた裁判

一  原告ら

「被告らは各自原告林代作に対して金四、八〇七、六八〇円、原告林静子に対して金四、六五七、六八〇円およびこれらに対するいずれも昭和四七年五月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決、および仮執行の宣言。

二  被告ら

「原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  昭和四六年九月二四日午後五時五八分頃、岡山市円山一〇二七番地先の県道岡山西大寺線(以下「本件県道」という)を、原告両名の子である林茂樹が運転して東進していた自動二輪車(登録番号岡う四三四七号、以下「原告車」という)と被告三浦が運転して本件県道を西進し、右地点で本件県道と交差して北西方に通じている道路(以下「本件交差道路」という)へ右折進行しようとしていた軽四輪自動車(登録番号六岡い三四八六号、以下「被告車」という)が衝突し、林茂樹は脳挫創、頸部打撲、肺気腫等の傷害を受け、直ちに光生病院に運ばれ手当を受けたが、翌二五日午前〇時五分死亡した(以下右衝突死亡事故を「本件事故」という)。

(二)  本件事故は、被告三浦が被告車を運転して右折するに当つて、本件県道の前方(西方)の注視を怠り、対向直進して来た原告車との安全を確認しないで右折しようとした過失に因つて発生したものであるから、被告三浦は不法行為者として、被告山田は本件事故当時被告車の保有者であり、被告車を自己のために運行の用に供していたものであるから、被告車の運行供用者として、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務を負つた。被告山田は、同人の営業である酒類の小売販売業のほか家業である農業も営んでいるものであり、被告三浦は、妻が被告山田の姉であつて、被告山田の居宅の隣家である同被告所有のアパートに居住しているものであり、被告らが主張するように、被告三浦の通勤用に使用するために、被告車が同被告に無償で貸与されていたとしても、被告山田も農業用器具資材、農産物、酒類等の運搬、配達等に被告車を使用していたもので、被告車について運行支配、運行利益を有していたのであるから、被告山田は被告車を自己のために運行の用に供していた者というべきである。

(三)  本件事故に因る損害は次のとおりである。

1 原告代作は茂樹の死亡までの光生病院での診療費として五三、六八九円を支払つた。

2 原告代作は茂樹の葬儀費用として一五〇、〇〇〇円以上を支払つた。

3 茂樹は本件事故当時一八歳七箇月(昭和二七年二月二七日生)で、岡山総合職業訓練所を昭和四三年三月終了し、ブロツク建築工となり、本件事故当時は有限会社中央ブロツク工業所に勤務して、日給二、五〇〇円、月額平均六二、五〇〇円の収入を得ていたものであるが、その死亡時における平均余命は四九・九九年であつたから、残存稼働可能年数を六七歳に達するまでの四八年間とし、その間の逸失利益を、昭和四六年一〇月一日から昭和四八年九月三〇日までの二年間は収入月額六二、五〇〇円、必要生活費月額三一、二五〇円昭和四八年一〇月一日から昭和五〇年九月三〇日までの二年間は日給五、〇〇〇円、収入月額一一五、〇〇〇円(平均一箇月二三日稼働)、必要生活費月額四〇、〇〇〇円、昭和五〇年一〇月一日から満六七歳に達するまでの四四年間は日給八、〇〇〇円、収入月額一八四、〇〇〇円(平均一箇月二三日稼働)、必要生活費月額九二、〇〇〇円として算出すると、別紙計算書(一)記載のとおり合計二七、八五三、〇〇〇円となる。茂樹の父母である原告らは、茂樹の右逸失利益の損害賠償請求権の二分の一宛である一三、九二六、五〇〇円宛の損害賠償請求権を相続した。

4 原告両名の茂樹の父母としての慰藉料としては、少くとも各二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

右のとおりで、原告代作は右1ないし4の合計一六、一三〇、一八九円、原告静子は右3、4の合計一五、九二六、五〇〇円の損害賠償請求権を取得した。

(四)  損害の填補

原告らは自動車損害賠償責任保険(以下「自賠保険」という)の保険者から五、〇五三、六八九円の支払いを受けたので、このうち五三、六八九円を前記(三)の1の原告代作が支払つた診療費の損害賠償請求権の弁済に充当し、残額五、〇〇〇、〇〇〇円の二分の一宛をその余の各損害賠償請求権の一部弁済に充当したので、前記(三)の損害賠償請求権の残額は、原告代作は一三、五七六、五〇〇円、原告静子は一三、四二六、五〇〇円となつた。

(五)  弁護士費用

原告らは本件訴訟の委任による弁護士費用として八〇〇、〇〇〇円を要し、これを各二分の一宛負担するが、これは本件事故に因る損害として被告らが負担すべきものである。

(六)  よつて、被告ら各自に対して前記(四)の損害賠償請求権の残額と右(五)の弁護士費合計額の内、原告代作は四、八〇七、六八〇円、原告静子は四、六五七、六八〇円およびこれらに対する本件訴状が被告らに送達された翌日である昭和四七年五月二三日から完済に至るまでの、民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、本件事故が被告三浦の過失によつて発生したということ、本件事故当時、被告山田が被告車の保有者であり、被告車を自己のために運行の用に供していたということはいずれも否認する。

(三)  同(三)の1ないし3の損害額、4の相当慰藉料額は総て争う。ブロツク工は大工等と同様に、その作業用道具、作業現場までの交通費等は自己負担であるのが原則であり、これらの必要経費がその賃金中から支出されるし、雨天の場合は作業できないのが通常であるから、月間の平均稼働日数は二〇日位とみるのが相当である。原告らは、建設労働組合のいわゆる協定賃金を茂樹の逸失利益算出の基礎としているが、協定賃金は賃金引上げの努力目標であり、実際の支払賃金は協定賃金よりも二割程度低額である。

(四)  同(四)の事実のうち、自賠保険の保険者から原告ら主張の金額が支払われたことは認める。

(五)  同(五)の事実は知らない。

(六)  本件事故はもつぱら茂樹の過失に因つて発生したものである。被告三浦は本件県道と本件交差道路の交差点に被告車が入る前から徐行して西進していたが、その際本件県道を対向進行して来ていた自動車は、両備バスのみであり、被告三浦は右バスと被告車との距離、双方の速度から考えて、右バスの進路前方を右折できるものと判断して、交差点内に進入右折を開始した。ところが、その時突然、茂樹が運転した原告車が両備バスの背後から右バスの南側(被告三浦の方から見て左側、右バスの進行方向の右側)に出て来て、本件県道のほぼ中央線附近を猛速度で右バスを追越し東進して来て、僅かに本件県道中央線を越えて右折しかけていた被告車の左側前部へ衝突したものであり、被告三浦としては、衝突回避の仕様が全くなかつたのである。すなわち、本件事故は原告車を運転していた茂樹が、交差点の直前で、進路前方の安全を確認しないで猛速度で突然バスを追越し、かつ道路の進行方向左側に充分な余地があるにかかわらず中央線附近を進行したという過失に因つて発生したものであり、被告三浦には本件事故発生について過失がなかつたものである。

(七)  被告車は、被告山田の父山田正一が昭和四三年一〇月に購入してその所有者となつたが、昭和四四年八月四日、正一が死亡したので、長男山田國雄が使用するようになり、同人が保有者を正一としたままで、自賠保険契約を締結していた。昭和四五年八月に山田國雄が死亡したので、被告車を使用する者がいなくなり、被告車は國雄方の納屋に放置されていたところ、被告三浦が亡正一の妻で亡國雄、被告山田らの母である山田寿に頼んで借受け、昭和四六年二月から被告三浦の通勤用に使用するようになつた。爾来、被告車は被告三浦が保管し、必要経費も同被告が負担して、同被告が専ら使用していたものであるから、被告車の運行支配、運行利益はともに被告三浦に帰属していたのであり、本件事故当時、被告車の運行供用者は被告三浦であつた。被告山田は被告車とは別の自動車を保有、使用していて、被告車の使用には全く関係していなかつたもので、ただ被告山田が知らないうちに、同被告の母寿によつて、被告山田名義で被告車の自賠保険契約が締結されていたに過ぎないものであるから、本件事故について被告車の運行供用者としての責任を負わない。

三  被告らの抗弁

(一)  仮に、本件事故当時、被告車は被告山田が運行の用に供していたものであつたとしても、本件事故は前記被告らの答弁の(六)のとおり、専ら茂樹の過失に因つて発生したものであり、かつ被告車には構造、機能上の瑕疵もなかつたから、被告山田は本件事故について、被告車の運行供用者としての賠償責任を負わない。

(二)  仮に、右主張が失当であるとしても、本件事故の発生については、茂樹にも前記のとおりの過失があつたのであるから、被告らの損害賠償額を定めるについて斟酌されるべきである。

(三)  昭和四六年一〇月六日、被告らは原告らに対して、本件事故に因る損害の填補として一〇〇、〇〇〇円を支払つた。

四  抗弁に対する原告らの答弁

(一)  抗弁(一)のうち、本件事故が専ら茂樹の過失に因つて発生したということは否認する。

(二)  同(二)は争う。

(三)  同(三)の事実は認める。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因の(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故発生の原因について

(一)  右一の当事者間に争いのない事実と〔証拠略〕を合わせて考えると、次の事実が認められる。

1  本件事故発生地点附近における本件県道は、幅員六・八メートル、そのうち中央部の幅員約五・五メートルの部分がコンクリート舗装され、路面は平坦でセンターラインが表示されており、本件事故発生地点の約四〇メートル東方から西方へ約四〇〇メートル位の間はほぼ直線状でかつ勾配はなく、道路上の見とおしは良好である。

2  被告三浦は被告車を運転して、時速約四〇キロメートル位で本件県道を西進し、被告車の先行車は約三〇〇メートル位前方に在るのみで、直前の先行車はない状態で本件事故発生地点の東方約四五メートル位の地点に達した際、右折の合図(ウインカー)を表示し、本件事故発生地点の東方約一五・三メートル位の地点に至る間に、被告車の速度を時速約二〇キロメートル位に減速した。その際、被告三浦は西方から本件県道を東進して来る大型バスを認めたが、右バスが被告車と行違うより前に右バスの進路前方を右折して本件交差道路へ進入できるものと判断し、本件交差道路上の状況を注視しながら緩かに道路を右に変え、約一〇メートル位進行して被告車の右側先端部がほぼ本件県道のセンターライン上に在るような状態となつた際、被告車の前方(西方)約二一メートル位の本件県道センターライン上附近を、時速少くとも約五〇キロメートルないし六〇キロメートル位の速度で東進して来る茂樹が運転した原告車を発見し、衝突の危険を感じたが、何らの措置を執ることもできないまま、約五・二メートル進行した本件事故発生地点で、被告車の前部左側端部附近と本件県道のほぼセンターライン上を進行して来た原告車の前輪が正面衝突した。

右のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  〔証拠略〕のうちには、被告車が本件事故発生地点の東方約一五・三メートル位の地点に達した際、東進して来た大型バスは被告車の西方約五五メートル位の地点を東進しており、被告車が本件事故発生地点の東方約五・二メートル位の地点に達し、被告三浦が原告車を発見した際には、右大型バスは被告車の西方約三〇メートル位の地点に到達していた旨の供述の記載、供述がある。

他方、〔証拠略〕のうちには、同人が大型バスを運転し、先行車は認められない状態で本件事故発生地点の西方約三七〇メートルにある岡山自動車学校入口停留所を発進して、本件事故発生地点の西方約一二〇メートルにある曹源寺入口停留所に至る間を走行中に、原告車が右大型バスを追越して行き、右大型バスが曹源寺入口停留場に停車し、発進するより前に本件事故が発生した旨の供述の記載、証言がある。もし右の赤石勘一の供述、証言のとおりであるとすると、本件事故発生の日時、前記認定のとおりの本件県道の状態から考え、被告三浦は被告車と原告車の距離が少くとも一五〇メートル以上ある時期に原告車が東進して来るのを認め得たはずであるということになり、したがつて、被告三浦には本件事故発生を回避する余地が充分あつたことになる。しかしながら、右の場合には、茂樹からも被告車を右同様の距離がある時期に認めることができ、被告車が右折するために本件県道センターラインに接近するように進行してきていることが判つたはずであるから、茂樹としても事故発生を回避するために原告車の進路を変えるのが当然であると考えられるにかかわらず、前記のとおり原告車はほぼ本件県道センクーライン上を進行し続けたまま被告車と衝突したことが認められること、および証人北東憲司の、原告車が本件県道の北側のブロツク塀の後から不意に飛び出したような感じであつた旨の証言、ならびに証人赤石勘一の証言によると、同人は茂樹と若干の交際のある間柄であつたことが認められることに照らすと、前掲記の赤石勘一の供述の記載、証言のみで、右供述、証言どおりの事実を認めるに充分であるということはできない。しかし、証人北東憲司の本件事故発生地点の西方に大型車の様なものが停つていた様に思う旨の証言、赤石勘一が運転していたバスが、本件事故の発生に因つて急停車したことを窺わせる証拠は何もないことに照らすと、前掲記の被告三浦の供述の記載、供述もこれのみで右供述の記載、供述どおりの事実を認めるに充分であるということはできない。

そして、他に、原告車が本件事故発生地点からどの位西方で、赤石勘一が運転していた大型バスを追越したかを認定するに足りる証拠はない。

(三)  前記(一)認定事実によると、本件事故は、被告三浦が本件県道から右折進入しようとした本件交差道路上の状況の確認に注意を奪われ、本件県道上を対向直進して来る車両の状況を確認しないまま右折を始めた過失に因つて発生したものということができる。しかしながら、前記認定のとおりの本件県道の幅員、舗装状態からすれば、原告車を運転していた茂樹にも、本件県道の進行方向左側部分に安全に走行できる余地が充分あつたにかかわらず、進路前方の安全を確認することなく、危険が発生し易いほぼセンターライン上を高速度で走行した過失があつたものということができる。そして、本件事故発生についての右の被告三浦と茂樹の各過失の程度を比較衡量すると、被告三浦の過失を四、茂樹の過失を六とみるのが相当であると考える。

三  被告車の運行供用者について

〔証拠略〕を合わせて考えると、次の事実が認められる。

被告車は、昭和四三年一〇月頃に被告山田の父で農業を営んでいた山田正一がその業務用として購入して、同人をその使用者として道路運送車両法に基く陸運局長に対する届出をし、同人名義で自賠保険契約を締結して運行の用に供し、その運転は、正一が運転免許を受けていなかつたので、同人の長男で同人とともに農業を営んでいた山田國雄が行つていた。正一は昭和四四年八月四日に死亡したが、被告車の所有者、使用者の届出は正一名義のままとされ、昭和四五年六月二五日以降の自賠保険契約も、保有者を正一名義としたままで國雄名義で締結された。國雄も昭和四五年八月五日に死亡したが、被告車の所有者、使用者の届出は正一名義のままとされていた。被告三浦は昭和四六年一月に自動車運転免許を受けたので、同年二月頃、当時使用されないまま岡山市円山五四七番地の山田方に保管されていた被告車を、亡正一の妻で、被告三浦の妻茂子、被告山田らの母である寿の承諾を得て借受け、燃料費等走行に要する日常の経費は被告三浦が負担して、その通勤用に使用するようになり、昭和四六年四月に岡山市円山八〇〇番地第一に新築された山田寿所有名義のアパートに居住するようになつてからは、右アパート附近の空地を保管場所として被告三浦が被告車を保管していたが、届出使用者は依然として亡正一名義のままとされ、昭和四六年六月二五日以降の自賠保険契約は、被告山田名義で締結されていた。被告山田は昭和三六年四月一日から昭和四六年一二月一八日まで株式会社明治屋岡山支店に勤務していたもので、右勤務中の昭和四六年一一月六日付で岡山税務署長から酒類小売販売業の免許を受け、同年一二月から岡山市円山八〇〇番地第一の前記アパートの隣に新築した店舗で酒類販売業を営んでいるが、株式会社明治屋岡山支店勤務中の昭和四四年一一月、マツダ普通小型乗用車を購入して、通勤用に使用していた。

右のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告らは、被告山田がその本業である酒類販売業のほかに家業である農業を営み、被告車を右の各業務のためにも使用していたと主張するが、右認定のとおり被告山田の兄山田國雄が昭和四五年八月五日に死亡した後、当時株式会社明治屋岡山支店に勤務していた被告山田が、右勤務の傍、兄國雄が営んでいた家業の農業を引継ぎ、これにも従事するようになつたということを認めるに足りる証拠はないし、また被告山田の酒類小売販売業開始時期が右認定のとおり昭和四六年一二月である以上、本件事故当時までに被告車が右営業のために使用されるということはあり得ないことであるといわなければならない。

本件事故当時、被告車を運行の用に供するための法律上の要件である、道路運送車両法に基く陸運局長に対する届出の使用者は被告山田の父である亡山田正一名義となつており、自賠保険契約の締結は保有者を亡山田正一名義として被告山田名義でなされていたことは前記認定のとおりであるが、被告山田本人(第一、二回)の、右自賠保険契約の締結は母寿が被告山田に無断でしたもので、右契約に基く保険料は被告三浦が負担した旨の供述を覆すに足りる証拠がない以上、前記認定のとおりの昭和四六年二月以後の被告車の使用状態からすれば、本件事故当時の被告車の運行供用者は、被告山田ではなく、被告三浦であつたと認めるのが相当である。

四  本件事故に因る損害について

(一)  原本が存在し、〔証拠略〕によると、本件事故に因る茂樹死亡までの同人の治療費等として五三、六八九円を原告代作が支払つたことが認められ、右認定を妨げる証拠はない。

(二)  〔証拠略〕によると、茂樹の葬儀等仏事の費用として、原告代作が一五〇、〇〇〇円以上を支払つたことが認められ、右認定を妨げる証拠はない。

(三)  〔証拠略〕を合わせて考えると、次の事実が認められる。

1  茂樹は本件事故当時満一九歳(昭和二七年二月二七日生)で、昭和四三年に岡山総合職業訓練所ブロツク建築科を修了してブロツク工となり、昭和四六年三月下旬から有限会社中央ブロツク工業所に日給二、五〇〇円の常傭工として勤務し、同年四月から同年八月までの五箇月間に、報償金、賞与等を含めて三二一、九〇〇円(一箇月平均六四、三八〇円)の収入を得ていた。

2  岡山県建設労働組合では建築工事関係の労働者(建設労働者)の協定賃金なるものを職種別に定めているが、右組合が定めた大工、左官、板金工、ブロツク工の協定賃金は、昭和四六年四月一日から昭和四七年三月三一日までは三、八〇〇円、同年四月一日から昭和四八年三月三一日までは四、〇〇〇円、同年四月一日から同年七月三一日までは四、五〇〇円、同年八月一日から昭和四九年三月三一日までは五、〇〇〇円、昭和四九年四月一日から昭和五〇年三月三一日までは六、五〇〇円、昭和五〇年四月一日からは八、〇〇〇円(いずれも日額)である。右協定賃金は、建設労働者が作業を行うための道具類、作業場までの交通費等は自己負担であり、これらの就労に必要な費用(経費)として賃金の三二パーセントが税務署によつても認められていること、建設労働者には一般企業労働者のように賞与、退職金、社会保険などの付加給付がないこと、しかも建設労働者の就労日数は天候に左右され易く、平均一箇月二二日ないし二三日であることなどを前提として定められたものである。

右のように認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。

右2認定の岡山県建設労働組合が定めた協定賃金と現実に建設労働者に支払われる賃金とがどのような関係にあるかを具体的に認定するに足りる証拠はない(右1認定事実によると、茂樹が右の協定賃金どおりの賃金を得ていなかつたことは明らかである)が、右協定賃金額は各職種の熟練建設労働者が実際に支払いを受ける賃金額またはその引上率の一応の基準になつていたと推認するのが相当である。

右1、2認定事実からすると、本件事故に因る茂樹の六三歳までの残存稼働可能年数四四年間の逸失利益は、少くとも次のとおりとなるものと推認するのが相当である。

(イ) 昭和四六年一〇月から昭和四八年九月までの二年間は一箇月について日収二、五〇〇円の二五日分六二、五〇〇円から四割の必要生活費を控除した三七、五〇〇円。

(ロ) 昭和四八年一〇月から昭和五〇年九月までの二年間は、一箇月について日収三、五〇〇円の二三日分から四割の必要生活費を控除した四八、三〇〇円。

(ハ) 昭和五〇年一〇月以降の四〇年間は、一箇月について日収五、〇〇〇円の二三日分から必要生活費四割を控除した六九、〇〇〇円。

右(イ)ないし(ハ)の金額からライプニツツ式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除した現在額は別紙計算書(二)記載のとおり合計一三、五〇二、九三五円となる。

(四)  茂樹の父母である各原告の、茂樹の死亡についての慰藉料としては各二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

五  過失相殺

本件事故の発生については、茂樹にも過失があり、その過失の割合が六割と認められることは前記のとおりであるから、被告三浦に対しては、右四認定の各損害額、慰藉料額の四割の限度で、その賠償義務を負わせるのが相当である。してみると、原告代作は右四の(一)、(二)、(四)と(三)の二分の一との合計の四割である三、五八二、〇六三円、原告静子は右四の(三)の二分の一と(四)の合計の四割である三、五〇〇、五八七円の損害賠償請求権を取得したことになる。

六  損害の填補

原告らが本件事故に因る損害の賠償として、自賠保険の保険者から五、〇五三、六八九円、被告から損害の填補として一〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によると、右のうち自賠保険の保険者から支払いを受けた五三、六八九円は原告代作の、その余は各二分の一宛各原告の賠償請求権の弁済に充当されたものと認めるのが相当である。してみると、原告らの前記の損害賠償請求権の残額は、原告代作は九七八、三七四円、原告静子は九五〇、五八七円となる。

七  弁護士費用

原告らの右損害賠償請求権の残額からすれば、本件訴訟の委任によつて各原告が要する弁護士費用のうち各一〇〇、〇〇〇円の限度で、被告三浦に負担させるのが相当である。

結論

以上のとおりであるので、各原告の本件請求のうち、被告山田に対する請求は全部理由がなく、被告三浦に対する請求は、原告代作が一、〇七八、三七四円およびこのうち九七八、三七四円に対する本件訴状の被告らに対する送達の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四七年五月二三日から、一〇〇、〇〇〇円に対するこの判決確定の翌日から、完済に至るまでいずれも民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において、原告静子が一、〇五〇、五八七円およびこのうち九五〇、五八七円に対する昭和四七年五月二三日から、一〇〇、〇〇〇円に対するこの判決確定の翌日から完済に至るまでいずれも年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては理由があるが、右の限度を超える部分はいずれも理由がないものといわなければならない。

よつて、各原告の被告山田に対する請求を棄却し、被告三浦に対する請求を右の理由のある限度で認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺井忠)

計算書 (一)

1 (62,500円-31,250円)+12×2=750,000円

2 (115,000円-40,000円)×12×2=1,800,000円

3 (184,000円-92,000円)×12×22.29=25,303,000円

4 750,000円+1,800,000円+25,303,000円=27,853,000円

計算書 (二) 円未満四捨五入

1 37,500円×12×1.8594=836,730円

2 48,300円×12×(3.5459-1.8594)=977,495円

3 69,000円×12×(17.6627-3.5459)=11,688,710円

4 836,730円+977,495円+11,688,710円=13,502,935円

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